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メイトリクス

ゼンリョクヲミテ ウェブリンヲイレテミマシタ

イソターネッツハ「ムラ」デス・・・

ナニガムラダヨ、コノヤロートオモイツツ インストーラハ ハシル

ソシテ セッテイ ガメン

ウェブリンハオモシロイデスヨ ソノ ユーアイガw

ウェブリソ

http://www.weblin.com/home.php?room=en3

アメニモマケズ カゼニモマケズ ミナニ ヒンシュクヲ カウヤウナ アバターヲ ツクリタイ トオモフ

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5 Comments

  1. うほ^^それインストールしましたか^^
    アバター用画像のサイズやフォーマットなどの解説よろすく。

    インターネットは「村」って、ある意味正しい表現ですなー。
    「今インターネットではこれが流行ってる」という認識が実はかなり
    コミュニティ依存のネタだったりすることが多いですし。
    んで、ポイントとなるのが何が「コミュニティ」を形成する要素になっているか。

    ネットが普及する前は、リアルの「距離感」が「コミュニティ」を形成する大きな
    要素となっていましたが、ネットの普及によって「距離感」はなくなり、「嗜好性」
    のみで「コミュニティ」が形成される要素となったわけで。

    コミュニティ = 人の集う場 = 村

    という発想ですな。
    (と、思いつくままつぶやく。ブツブツ)

  2. ManiHoniさん、こんばんは~
    アバタの基本は静止画で100x100以内10kbまでのjpg,png,gif対応で、オプションの(無くても構わない)
    アニメーションイメージは100×100以内10kbまでのgifです、gifに統一したほうが色身が変わらなくていいだろうとおもいます。10KBの制限は結構キツイので5コマくらいが実用限界なんじゃないかと思いますね。

    ウェブリンはドイツ製とのことなので、ドイツ語の「村」の意味を調べようと思いましたが、なんか面倒なのでググってませんw

    日本語では 村 ではなくてカギ括弧つきの「村」というのがポイントなのだろうと思います。

    「ネットは広大だわw」
    草の根通信が主流の時代の言葉ですが、確かに「広大」ですが一人の人間が関わるのはほんの一部で、近年では某巨大掲示板のなかの言葉が近所の噂話の感覚で流通してしまう、井戸端的な感じがします。そのへんの感覚も新鮮なので受けた、でも利用者層は30、40代がメインらしいので10代.20代にとっては何ら新鮮なものとして写らないのかもしれませんね。情報の取捨選択もまどろっこしい しw
    ウェブリンは2Dであるけれど、ユーザー改変のアバター、アイテム、アニメーション(gif)の販売など、セカンドライフに似ているのを見つけられますが、決定的に違うのところは、定位置、固有の場所、鯖、つまりセカンドライフやLively by Googleのようなメタヴァースを持たない、WEBのインターフェースそのもの、ブラウザそのもの上、大雑把に言えばネット上がメタヴァースになっているところだと思います。

    ではネット上に「散在」できるにも関わらず「村」となぜ呼ぶのでしょうか_
    ネット上の疑似人格(←既に死語だと思う)ですら「ヒト」から逸脱するのは困難で、結果的に「偏在」してしまうからだと思います。ユビキタスが{遍在}化しても基本は変わらないかもしれないですね。

    日本語の感では「村」でなく「街」にしたほうが 明るい社会的なイメージがあると思いますが、敢えて見ようによってはネガティブな、しかし結びつきの強い「村」にしていますね、わたしにとって、ウェブリンが成功するかどうかに関わらずSLの「SecondLife」という思想が色あせて見えてしまったのはウェブリンが「SecondLifeとはネットを利用すること」そのものだと、浮き彫りにするからだと と、思いつくままつぶやく・・・(ManiHoniさんのコメントへの直接のレスになっていませんが、直接のレスを必要としてない文章だと思いましたので、わたしもマネしました)

    メタヴァース
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%82%A6%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

  3. おおお、解説ありがとさんです^^
    100x100ってのはかなり厳しい^^;;;
    いかに綺麗に減色するかがカギっぽいですね・・・ていうか、いまどき
    10kb制限ってありえない気がするんですが、ドイツではそれが常識なんだろうか。

    >情報の取捨選択もまどろっこしいしw

    わはは。私には情報の取捨選択・・・というか、ひとつの現象に対する複数の
    「多分に主観の含まれた記述」を比較することで真実を見極めようという
    客観的姿勢ってやつが大好きであり、楽しくもあり^^

    >ではネット上に「散在」できるにも関わらず「村」となぜ呼ぶのでしょうか_

    ネット上での「コミュニティ」が場所や距離と無縁になり、人間同士(あえて端末
    とは言わない^^)の「結びつき」そのものを表すことから、ネット上での「村」が
    「コミュニティ」を表す言葉のひとつだと考えた場合、「散在」することと
    「村」であることは何も矛盾しないということかと思われまする。

    >敢えて見ようによってはネガティブな、しかし結びつきの強い「村」にしていますね

    人間同士の結びつきはねちっこいですからねぇ。
    SL、メッセ、スカイプといったようなリアルタイム性を重視する結びつきは
    その情報伝達性よりも「憩いの場としての時間つぶし的な要素」「孤独感を
    紛らわす要素」のほうが上回ってしまうケースのほうが多いので、私は
    どうしても一線引いてしまいがちですorz

    TIME IS MONEY !!!

    >(ManiHoniさんのコメントへの直接のレスになっていませんが、直接のレスを必要としてない文章だと思いましたので、わたしもマネしました)

    正解!!!

  4. これまた話がズレますが

    スラップスティック―または、もう孤独じゃない
    http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E2%80%95%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%AF%E3%80%81%E3%82%82%E3%81%86%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%AB-SF-528-%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%8D%E3%82%AC%E3%83%83%E3%83%88/dp/4150105286

    ヴォネガット氏のSFの中の架空のアメリカ大統領が提唱した「拡大家族」の概念

    赤の他人が共通した任意のミドルネームを持つことで、「拡大」家族の一員になること

     ネットがらみで自殺報道がセンセーショナルに報じられる事があって、ネットが自殺を助長しているような書き方を見ると、ネットがそのコミュニティがチャットがMMOがゲームなどが、自分はどこかに所属しているんだという意識を与えることの大きさを無視しているように思えます。

    むしろ「誰かと繋がっている」意識は多くの「孤独な」魂を救っているのだと感じます。自殺サイトでさえ共通の意識、魂を求め合っている、集団自殺や、自殺の予告など、黙って一人で自殺をするんじゃなくて、これもひとつの魂の救済の方法なんだろうとおもいます、それが間違っているかどうかを棚上げしても。

  5. >むしろ「誰かと繋がっている」意識は多くの「孤独な」魂を救っているのだと感じます。

    これは同感ですね。
    リアル社会は「距離が近いという要因が人間関係の成立に及ぼすプラスの影響力とはなりにくくなってきている」のが現状ですし。むしろ、騒音おばさんのように「近くにいるから逆に迷惑」となるケースのほうが増えてきているように、「リアル社会で他人とうまくつきあえない人」が増えてきたことは、騒音おばさんの世代的に考えても「ネットの影響」ではなく、社会の、あるいは教育の影響かもしれません。
    そういう意味でもネットで「趣向性」を基軸としたつながりを形成できることは、「孤独」の回避という面で考えると明らかにプラスでしょう。
    ただし、「趣向性」を基軸とすることによってコミュニティの方向性の多様化が失われてしまうことが、「自殺サイト」のような「マイナスな結果を生み出しやすい場」を形成しやすくなっているのが難点ですね。

    さらに一歩進んで考えてみると、「趣向性を基軸としたコミュニティ」にすら入り込めない人の存在は、今後どうなってしまうのか・・・例えば、秋葉原で大量殺傷事件を起こした犯人は、ネットを利用していながら「どこなのコミュニティに属していた」という雰囲気がまったく伝わってきません。
    これは、2chのような匿名文化(個と個のつながりの希薄さから考えて、コミュニティと称していいのか微妙)の影響って気がしますね。

    で、このコメントで一番何を言いたかったのかというと、カート・ヴォネガット本人がカート・ヴォネガット役で登場している映画があったなぁ~と^^ (長々とした前振りはまったく関係ない^^;)
    バック・トゥ・スクールという80年代のアメリカのおバカ映画なんですが、この映画の音楽をダニー・エルフマンが担当していたのでビデオを借りて観たことあります。
    ダニー・エルフマンは「ビートルジュース」以降のティム・バートンの映画のほとんどの音楽を担当した人で、私は彼が映画音楽を始める前からやっていたOingoBoingo(すでに解散)というバンドが大好きだったという流れで^^
    私が高校時代に関わった自主制作フィルムのBGMで使われていたのがOingoBoingoとの出会いだったかなぁ・・・当時はちょうどアナログ盤が店頭から徐々に姿を消し、CDのラインナップもまだ万全ではないという時代でした(遠い目

    日本ではほとんど無名なんだけど、ジョジョの荒木飛呂彦氏のファンの人ならオインゴ・ボインゴという言葉に見覚えあるんじゃないかな^^?

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